2011年4月30日土曜日

毎日。

毎日何度も首のリンパ節をさわる。
なんだか少し大きくなっているような気がして恐ろしくなったり、
やっぱり小さいままだと安心したり。
そんな繰りかえしだ。

治療を始める前は、もっと覚悟を持っていたはずなのに、
いい結果が手に入ったとたん、それを失うのがこわく、おろおろし始める。
ああ、自分は小さい人間なのだなあと…





小さかろうがなんだろうが、生きてりゃ結構ですよ!

2011年4月29日金曜日

慣らし運転。

23日ぶりに外を歩いた。
自宅から秋葉原まで、歩きと電車で片道30分ほど。
ノートPCのACアダプターがこわれたので買ってきた。
駅の昇りの階段が、いつもより高く感じた。

まあ、体調に問題なし。


書くことがなくなってきましたよ。

2011年4月28日木曜日

奥さん。

こうやって呑気にしていられるのは、奥さんのおかげである。
高額医療費の申請、保険の手続き、入院手続きなど
煩わしいことはみんなやっていただいている。
入院中は毎日やってきて、洗濯物の面倒をみてもらい、
さらにはおやつまで食べさせてもらった。
小学生が入院していたようなものだ。



元気な奥さん!














もし、ひとり身だったらどうしていただろう?


病気がわかった時点で何もかも投げすてて、
テキサスの荒野かなんかに行って
「こなけりゃよかった」とか言いながら
くたばっていた気がする。







そういう人間だ。






奥さん、ありがとうございます。


がんばって生きますよ。

2011年4月27日水曜日

忘れた。

家に帰って気が緩み、さっそく薬を飲むのを忘れた。



左から、パルトレックス(ヘルペスウィルス予防)


バクタ(細菌・真菌感染予防)


マグラックス(便秘気味の場合適宜)





本来は朝食後の服用であるが、
午後3時ごろに気がついて飲んだ。
困ったものである。


妻の従姉妹からお見舞いにチョコレートをいただく。
(チョコレートが好物なもので)







ピエールエルメのチョコレートで
私などにはもったいない物であるが、







←これはなんだ?





た、たいへんおいしかったですよ…。

2011年4月26日火曜日

かゆい うま。

帰宅した。
今のところ、体調に問題はない。
手足がちょっとかゆいくらいか。
主治医からはベンダムスチンの副作用として、
4割くらいの人に皮膚炎などが出ると言われていたが、
このかゆみはそれに当たるものなのだろうか?
素人判断では何とも言えないが。




←左腕 右腕 足指
今は右腕と足がかゆい。






ちなみに、家のご飯は、うま。


無理やりバイオハザードねたですよ。

2011年4月25日月曜日

やっぱり。








うれしいですよ!

明日退院。

今朝血液検査をおこなう。
結局、ベンダムスチン(トレアキシン)による骨髄抑制は、
ほとんどなしと言える程度のものだったようだ。
ということで、明日(26日)の午前中に退院することになる。



20日間、こんな風景を見て過ごす。




ベンダムスチン投与中。
2008年の入院時と、
病室はほとんど変わっていなかった。
食事も同じメニューが出たりした。



時間が巻き戻ったような気がした。










←寝まくったベッド。










今後は、5月2日にMRI。
9日には、通院でベンダムスチン+リツキサン2回目を予定している。



終わったらすぐ出社ですよ…。

2011年4月24日日曜日

お食事。



いただきます。





…おっと、震災で亡くなった方々への
黙祷を忘れていた。





こうやって、いい環境のもとで病気から生き残ろうとしているわけだが、
そうするだけの価値が自分にあるのだろうか?

食事のたびに考える。

うーーーーーーーーん、
わからない。



とりあえず食べますよ。

2011年4月23日土曜日

効き目。

11日と12日、ベンダムスチン(トレアキシン)+リツキサンの治療をしてから、10日間たった。

今回再発の患部は、左右の頸部リンパ節、左鎖骨のリンパ節、
背骨の上部(頚椎と胸椎の間くらい?)への浸潤だ。

前にも書いたが、この中で左首のリンパ節の腫れが
手で触ってわかりやすい大きさなのだ。


←大きさとしては、
そら豆が首に貼りついてる感じ。









いま左の首に触れてみると、このそら豆大だったものが
ほとんど消えている。





   
おおっ!














1回の治療で、かなり効いたと言って間違いないだろう。
これからも期待が持てるというわけだ。

でも、これでいい気になってはいけない。
「がん」について、われわれは知らないことが多すぎる。
地震と同じで、想定外の事態に襲われることを
いつも覚悟する必要があると思う。

実際、濾胞性リンパ腫は形質転換をおこして、劇的に悪化する可能性がある。
それが自分にやってくるのか、こないのか、くるとしたらいつなのか、
ちっともわからない。

がんを舐めてはいけないと思う。
「笑えば、がんが治ります」なんて言われることがあるが、
その、あまりにもがんを舐めきった態度に大笑いして
体中のがんが治ってしまいそうになることがある(笑)





と言ってるわりには、このブログもヘンなキャラを作ったりして
がんを舐めてますよ。

2011年4月21日木曜日

これでいいのか?

きょうは教授回診だった。
そこで、いきなり退院を示唆される。






えっ?












リンパの腫れが、縮小を続けている(B-Rが効いている)。
今日の検査でも、白血球の減少は見られない。
他のデータからも、懸念する点はみあたらない。

週明けの血液検査次第では、退院できるということだった。

もちろん、嬉しいのであるが、
こんなことでいいのかと。
どこかに落とし穴があるのではと思ってしまう…。


うたがい深いんですよ。

2011年4月20日水曜日

病院の夜。

病院の夜は、笑ってしまうほど早い。











■8:00pm:  就寝前の検温・血圧測定などがおこなわれる。
日によって8時半以降にずれこんだりする。
これが終わると、病棟全体に「おやすみモード」的な雰囲気が広がる。

■8:30pm: 病棟がしんとなってくる。
看護師さんのカートの音と足音が廊下に 響く。

■9:00pm: 病室消灯。
だいたいみんな素直に寝ているようだ。テレビを見る人も少ない。
あちこちの部屋で、咳こむ音がしてくる。
犬の遠吠えのようなすごい咳きこみもある。

■9:00-10:0pm: 病棟はざわついている。
ナースコールのチャイム、点滴終了のチャイムが鳴り、看護師さんが廊下を走る。
暗い病室で患者の個別対応(点滴の付け外し、トイレ処理)がおこなわれる。








11時頃
暗く静かだ。









■12:00: このあたりでもう一度病棟がざわつく。
病室の深夜見回り、点滴のチェックなどで、廊下を歩く音が聞こえてくる。
咳きこみの遠吠えも再開。


■2~3時間に一度くらい目を覚ましつつ朝へ。
(数々のへんてこな夢を見る)

■6:00-6:30am: 「おはようございます、朝の検温です」



今日も生きててよかったですよ!

2011年4月19日火曜日

そう言えば初発はどうしたっけ?

当時のメモを見てみる。
初発の治療1回目は、2008年10月2日のCHOPから始まっている。
(リツキサン1回目 は1週間後の9日)

いま見返してみると、どうやら最新の 「6コース R-CHOP-14」
(=14日ごとのR-CHOP を6回おこうなう)だったようだ。

 R-CHOPの場合、打ってから2週間後に、
白血球数が底になっていたわけだが、
それもかまわず次の治療をしていたことになる。

いま思えば結構ハードなことをしていたと思う。
まあ、その間に両肺に3リットルの水がたまったり、
ちんちんに巨大な水疱が出現したりと大変だったが…。

   ↓当時のメモ


おっと、今回の入院でR-ベンダムスチンを何回しようとしているのか、
確認するのを忘れていた。


うっかりですよ。

2011年4月18日月曜日

採血データ2回目

変化なし。





やはり、これが骨髄抑制前の数値とすると、
本番が心配だ。








手洗い、うがいですよ。

寝てばっかり。

暇さえあれば寝ている。
それだけ体がだるいということだろうか?
よく考えると、熱も35.9度くらいから36.7度の間を、
1日の間に行ったりきたりしているのだ。
測り方が悪いのか?
それとも微熱が出ているのか?
さっぱりわからない。




どうしてこんなに寝るのか?




















というか、ネコなのかイヌなのか、
キャラがはっきりしなくなってますよ!

2011年4月16日土曜日

ベンダムスチン+リツキサン:その1

月曜・火曜の治療から約5日たったので、感想。
【効果】
左の首に、手で触れてわかりやすい大きさのしこりがあり、
これを効果の目安にしているが、確実に小さくなった。
ただし、消えたわけではない。
【副作用】
今のところ、R-CHOPよりかなり楽。
ただし、軽いムカつきが2~3日続いた。
体のだるさはあった。
点滴された血管がやや変色して、触ると硬くなっているのがわかる。多少痛い。
髪の毛の脱毛なし。 ヒゲも毎日よく生える。
【骨髄抑制】
白血球の値は多少下がっているが、これがB-Rのせいかどうかはわからない。


そうとういいですよ。

2011年4月15日金曜日

採血データ1回目



ベンダムスチンの場合、骨髄抑制は3週間目あたりがピークらしい。
まだ打ってから1週間もたっていない状況でこの数値(白血球数)は先が思いやられる。

あの日から。

くり返し見ている写真。
シートに入れられた遺体をさする女性の手から
目を離すことができない。

















毎日病院に来てくれる妻。
私がこうなったときは、同じように体をさすって
話しかけてくれるのだろうかな?


言っときますが、まだ遺体になるつもりはありませんよ。

2011年4月13日水曜日

パッとしない。

抗癌剤は終わったが、パッとしない。
流しの点滴が体の外に出せないせいか、
体重が入院時より4キロ増加。
うんこも出ない。
体が重だるい。






夜8時を過ぎた病院。
大忙しだ。












恵まれた病人の甘えですよ。

2011年4月12日火曜日

治療終了。

午前中にベンダムスチン(トレアキシン)の2日目が終了。
これで今回の入院での「治療 」については終わった。
後は効果のチェック、骨髄抑制など副作用のチェックなどになる。

で、いま首筋にできていた、大きめのリンパのしこりを触ってみたら、
 もう小さくなっているではないか!


薬の効き目、恐るべしですよ。

2011年4月11日月曜日

治療開始。

午前10時30分頃ベンダムスチンから治療開始。
13時頃からリツキサン開始。

リツキサン点滴中、顔にかゆみと発疹があらわれた。
過去8回でこんなことはなかったので意外だ。
 抗ヒスタミン剤(ポララミン)を追加で注射したらみるみる治った。

さらに、リツキサン点滴中に地震が発生。








 再現映像












今後の参考になるかも知れないケースと思い、
書き残しておくことにする。

「地震が起きたときは、点滴台持っとくのが精一杯」

何の参考にもなりませんよ。

2011年4月10日日曜日

と思ったら、夜眠れず。

中枢神経に入ってたらどうしよう、
そう言えばなんだか目眩もするぞ―
などと考え出したら眠れなくなった。

夜中の廊下を走る看護師さんの足音を聞きながら
ベッドで寝返りをうっていた。






寝られないので撮影










昼間寝すぎですよ!

2011年4月9日土曜日

病院は眠くなる。

2008年もそうだったが、病院に入ると眠くなる。
コーヒー、タバコ、アルコールなどの刺激物をまったく取らないせいなのか?
それとも「そこにベッドがあるから」なのか?












しりませんよ!

2011年4月8日金曜日

マルクとルンバールを1日で体験。

4月8日。
午前中にマルク、午後ルンバールされる。
何度やっても緊張するアレが2連発。

しかも、どちらも処置後1時間の安静が必要。
ずっと仰向けに寝ていると、自分が仏様になったような気がした。


↓夜の病院(動画)は寂しくて好きだ。

他人が見ることを想定して書いているわけではないので
もし誰かが見たら、私の病状なんてさっぱりわからないであろう。


かと言って、説明する気はさっぱりないですよ!

4月7日入院。

入院する。担当医はW先生と○先生。
心電図とレントゲン検査おこなう。

その後は生ビールを一杯!
ではなく、蓄尿。
すべて機械で管理。
↓うまそうですよ。





















夕方治療方針説明。
マルク&ルンバールを1日で済ませ、月曜からベンダムスチン(トレアキシン)。
治療はリツキサンを加えた「BR」療法。
R&B療法のほうがかっこ良くないか?

1クールを入院で行い、うまくいけばその後は通院治療となる。
うまくいかない場合もある。
例えば中枢神経に浸潤していたらやっかいだ、というよりマズイ。
明日のルンバールの結果で大体のことがわかるはず。

夜地震。
こわいですよ!