2011年11月23日水曜日

ゼヴァリンその12:「11月21日」

月曜日に診察を受けた。
ゼヴァリンを入れてから3カ月と10日ほどで、ようやくまともになってきた。















現状について、主治医のコメント。
「ゼヴァリンを使って1年後に再発した方もいますが、ブルーさんは
ベンダムスチンの治療がうまくいった上でやっているので、それほど心配していません」

で、次の診察は来年1月になったが、画像診断(PET)のタイミングは
どうしようかということになった。
今が寛解状態と考えられるのなら、来年早々にやっても単なる確認になってしまうし、
ゼヴァリンで放射線は十分堪能したので、もう少し先にならないかと言ったところ、
じゃあ、来年の7月頃にしましょうということになった。

余裕こきすぎかとも思うが、インターロイキン-2レセプター(sIL-2R)の数値が
病勢を反映しやすいタイプらしいので、
診察を受けていれば、たいへんなことにはならないだろう。
ちなみに、以前sIL-2Rの最大値は7000と書いたが、
調べてみると初発治療前には1万を超えていたので、ちょっと驚いた。

いまは、391と落ちついている(先月のデータ)。


ということで、友だちと飲んだり、忘年会で飲んだり、正月に飲んだり…
今から楽しみですよ。

コメントお礼

Yoikochan34さん

今は「カエルの面に小便」といった感じで、平気な顔して書いていますが、
その時がやってきたら、同じようにできるのかと、ずっと思っています。
不安はあるんですが、こんな馬鹿げたブログにしたからには、
最後までやり通すぞという、変なモチベーションもでてきました。
 ネットを使って「正気を保つ作戦」です。
失敗したりして(笑)

>tokomaさん

わたしらの子供の世代になったら、「がん患者ルームシェア」とか
やりそうですね、ほんとに。

2011年11月20日日曜日

孤独な闘い。

たぶん2ちゃんねるのものだと思うが、白血病患者のこんな書き込みを
コピペしてとってある。

「私は両親は随分前に他界して独身だから、

 最後の望みなんて叶える余裕がない。

 まあ望みなんてないんだけどw

 今は、業者に頼んでアパートの荷物の処分を考え中です。

 たまに、死んだ後の事ばかり心配している事が、すごく切なくなる」

なにげなく残しておいたのだが、見返してみると、これからこんな風に
病気と闘っていかなければならない人が増えていくんだろうなと思って、
ちょっと目の前が暗くなった。

わたしの場合は奥さんがいて、入院したときには
いろいろな手続きや、身の回りの世話をしてくれる。
それ以上に、自分のことを心配してくれる人が、常にそばにいるということで、
やっぱり計り知れない安心を感じていると思う。
治療をしているとき、精神的な部分で頼りきっていた。

でも、わたしの子供の世代はどうなるんだろうか?
結婚をしない人は増えていくだろうし、頼れる兄弟もないという人だって多いだろう。
(ちなみにわたしの子供は一人っ子)

子供世代の心配どころか、わたしの友人にだって、
すでに天涯孤独に近い状態になっている奴がいるくらいだ。

もし、たった一人でがんと闘うとしたら、とんでもなく強い精神力が必要になるんじゃないか?
わたしにはちょっと無理だ。
前にも書いたがヤケになって、どこかで野垂れ死にしそうな気がする。

というか、家族のことを 考えると、わたしが先に死ぬ可能性が高いわけであるから、
残った奥さんを、そんなイヤな戦場に一人で送りだすことになるかもしれない。
子供の先行きを考えていたんだが、もっと問題は差し迫っていたことに気がついた。


子供には、結婚はともかく、
何らかパートナーは作っとけとしか言えませんよ。




子供 「それだけかいっ!」

2011年11月12日土曜日

ゼヴァリンその11:「3カ月経過」

ゼヴァリンイットリウムを入れて3カ月がたった。

効果については、来年1月の検査までわからないが、
今までの血液検査の結果は問題ないようだ。
触れる範囲では、リンパ節の腫れも感じない。

貧血的な状態は続いている。
急に立ち上がるとめまいがする、体を動かすと息切れするなど。
どうにもならないような倦怠感はおさまってきた。
風邪や発熱、下痢など感染症の症状は、この3カ月なかった。

次は21日に診察があるので、血液の状態がどこまで回復しているかがわかると思う。
その様子を見て、インフルエンザの予防接種をするかどうか決めようと思う。




食欲とか、「欲」のつく気持ちが、戻ってきているような感じはする。

↓これのことでは、ありませんよ。

コメントお礼

>まなさん

お久しぶりです。
ご主人寛解状態とのことで、なによりです。
ゼヴァリンで叩いてベンダムスチンで仕上げという、わたしと順番が逆のコースですかね。
ベンダムスチンは、まったく毛が抜けなかったので助かりました。
ただ、あまり病気をしているように見えないので、
通院治療になってからは、会社でほいほい仕事を入れられて困ったことになります。
そのへんご主人も気をつけたほうがいいかもしれません。

>tokomaさん
 
この病気になって、死を意識するようになったかというと、たしかに意識するんですが、
恐いかというと、今のところ「別に」という感じです。
それどころか、每日くだらない煩悩に支配されてます。

犬やネコが、いちいち死ぬとか生きるとか思い悩まないのと、
同じようなもんなんでしょうかね。

2011年11月6日日曜日

水晶玉は存在しないのか?

まだ寛解をしているかどうかもわからない状態で、先のことを考えるのもどうかと思うが、
濾胞性リンパ腫は、びまん性リンパ腫への
形質転換(トランスフォーム)というやっかいな問題がある。

アメリカのデータであるが、今のところ形質転換の現実はこんな感じだ。

「形質転換したリンパ腫は、侵攻性の血液癌。 
患者の生存率の中央値は、現在の治療法では1.7年である。
それに対し、緩慢性または増殖遅延型リンパ腫(=濾胞性リンパ腫など)の患者は、
疾患とともに10~20年は生き延びることができる。
しかし10年の歳月の間、緩慢性リンパ腫患者の約30%が形質転換したリンパ腫を発症させる」
  
現状はかなり厳しいのだが、
それならば、形質転換を予測できたらいいんじゃないかと思った。
(予測できればいいことがあるか、という話しについては後日書きたいと思う)

で調べてみた。いつものように結論はあてにならないが…。

■細胞を見ればわかるんじゃないか?

新WHO分類では腫瘍組織内に存在する中心芽細胞の数による
グレード分類がなされている。
http://www.med.osaka-cu.ac.jp/labmed/page137.html

これは腫瘍組織を顕微鏡で見て、細胞を数えていく方法のようだ。

(強拡大1視野あたり大型芽球が5個以上)がグレード1、(6-15個)がグレード2、
(16個以上で中型細胞の混在があるとき)がグレード3A、
(16個以上で中型細胞の混在がないとき)がグレード3Bに分けられる。


「臨床的にはグレード1、2が低リスク群、グレード3(特にグレード3B)は中リスク群に分類され、
aggressiveリンパ腫の一画と認識される」
 
ということなので、腫瘍細胞を見てグレード3Aならば、こいつは形質転換しそうだとか、
グレード3Bだともう危険、といったことがわかるはずだ。

しかしこの方法は、そもそも「腫瘍組織」がないと検査ができないわけで、
寛解して定期的に検診を受けるというような状態では役にたたない。


■遺伝子検査でわかるんじゃないか?

多くのがんの発生には遺伝子の異常がからんでいる。
濾胞性リンパ腫の場合、細胞遺伝子学的検査では
大きく4タイプの遺伝子異常が見られるらしい。

・18q21.3/BCL2転座(80%) 
・3q27/BCL6転座(15%)、
・18q21.3/BCL2+3q27/BCL6転座(5%) 
・その他(10%)


 なんだかよくわからないが、
 転座の図みたいなものを入れてみた。
 できそこないのコケシにしか見えないが。







で、上の4タイプが形質転換に影響しているのかと調べてみたのだが、
はっきりしたことはわからなかった。

ただ、次のような記述はみつかった。(URLを忘れてしまったので、スクリーンショットで)


























難しいことはわからないが、遺伝子の異常を調べれば
形質転換の予測ができる可能性はあるんじゃないだろうか?

この検査はマルクでもできそうだが、やっぱり「がん化したB細胞」がなければ無理で、
寛解中の検診では難しいかもしれない。費用と時間もかかりそうだ。

けっきょく、濾胞性リンパ腫の先行きを見通せる魔法の水晶玉はないのか。

ただ、再々発したときにしっかり検査をしてもらうため、
こんな知識をためておくと役には立つかもしれない。

と、ここまで書いて思ったんですが、
悪性リンパ腫って、ふつう遺伝子の検査をするんですかね?



2011年11月5日土曜日

コメントお礼

>Yoikochan34さん

はじめまして。
初発を含めて、3年弱でリツキサン16回というのも、けっこうハードですね。
わたしなんかは、同じスケジュールでリツキサンを打ったら
免疫グロブリンがなくなってしまいそうです。
感染症に気をつけてください(と言ってる自分も気をつけなきゃいけなんですが)。

>あぜ丸さん

本当にお疲れさまでした。
あぜ丸さんの場合、5~6クールの予定のところ、4回ですんだということで
いい結果になりそうですね。

わたしも、来年1月にPETで治療成果を見るんですが、
それがだめだとヤケになって、大暴れしそうです。
(なにをやって暴れるのか、いまから考えないといけませんが)

2011年11月2日水曜日

オチも教訓も脈絡もない話し。

やっぱり酒は百薬の長、飲んだら体調もばっちり回復!
なんて期待していたら、空振りだった。

ちょっと歩くと息が切れ、息が切れて立ち止まると地面が揺れている。
そんな感じで会社をふらふらしていたら、後輩社員に昼飯を食べないかとさそわれた。
で、「飯を食う金がない」ときっぱり断わる(ホントに金がない)。
じゃあ、会議室で話でも聞いてくださいというので、それならばということになった。

会議室で、後輩は弁当を食べ、わたしは水を飲む。

うつ病なんです、と後輩が言う。
本当は食べたくなんかないんですが、食べないと痩せるばかりで、
しかたないんです、いまも砂を噛んでいるみたいです。
抗鬱剤と、精神安定剤と、睡眠薬をもらって飲んでます。
每日がつらいんです、と。

そりゃあたいへんだと、水を飲みながらわたしは言う。
でも、そのつらさは、感覚的にまったくわからない。

ブルーさんの、病気はどうなんですかと後輩が聞く。
いま治療の副作用でふらふらしていて、10年以内にそれなりの確率で死ぬかもと言うと、
なんだか、よくわからないモノののように、こっちを見ている。
むこうも感覚的に理解できないんだなと思う。

その後、ふたりとも理解できないまま、お互い自分のことを話した。

後輩はうつ病になって、会社を7カ月休んだこと、
奥さんは、うつ病の自分にだんだん我慢ができなくなっていること、
今の仕事は、精神的にいいとは思えないこと、
でも、自分が会社に役立てる仕事はきっとあるはずで、
評価などはいらないから、それをコツコツとやっていきたいということを話す。

わたしは、家と会社を往復するだけのような、こんな状態で死んでたまるか、
くだらない仕事を入れて邪魔するんじゃないぞ、このクソ会社、
でも、もっと金をよこせ的なことを言った。

「そうそう、そうだよねー」みたいな共感はお互いなし。
 前向きな結論もなし。

じゃあ、話したことは時間の無駄だったのかというと、
そうは思えないのだ。

これを書きながら「そうは思えない」理由をずっと考えていたんだが、
結局わからない。


また、読んでがっかり文章書いちゃいましたよ。