2011年7月31日日曜日

カゼが治った。

今週のはじめ、喉が痛くなって咳が出はじめた。
これはカゼにやられたな、肺炎になったら怖いなとか、
入院の病室でえらい迷惑になりそうだなどと思っていた。

ところが 金曜日になったら、カゼ症状はすっかりおさまってしまったのだ。
やっぱり、会社の仕事を適当にやっていた成果か、あるいは葛根湯を勝手に飲んだからかと
考えてみたのだが、そう言えば初発の治療を終えた2009年の春から、
寝こむようなカゼをひいてないことに気がついた。
インフルエンザにはかかっていないし、他の感染症にもなっていない。

というか、濾胞性リンパ腫と診断される以前よりも
この面では丈夫になってるんじゃないか?
どんなからくりなのかと考えてしまう。

実は体のどっかに貯めてある免疫力を、単に使い果たしてるだけだったりして。
(白血球の単球は脾臓に貯めておかれ、いざというとき放出されるらしい)


ま、明日から入院生活ですよ。

2011年7月27日水曜日

PET検査。

今日はPETを撮ってきた。
特に何事もなし。







←検査時に出される水。
さすが、セレブも受ける検査は違う。






別に金持ちっぽい味はしませんよ。

2011年7月26日火曜日

犬用リツキサンの旅。

悪性リンパ腫の患者さんのブログを検索していると、
あれ、こんな人もいたのかというブログに出会う。
プロフィール画像に犬の写真が貼ってあったりして、
ああペットの写真を使ってるんだ、この人は、なんて思いながら記事を読んでいくと、
なんかちょっとヘンなのだ。
で、読み進んでいくと、ようやくこれは飼い犬の悪性リンパ腫ブログだったと気がつく。

犬は悪性リンパ腫にかかりやすいみたいだ。 

    (たいしてかわいくない犬の例)

日本でよく飼われている犬種の中では、ゴールデンレトリバーがかかりやすいらしい。
で、犬はどんな治療を受けるのか調べてみると、おなじみのCHOPが使われていたり、
これにL―アスパラギナーゼを加えたプロトコルもある。
その他にも、ノバントロンやキロサイド、メトトレキサートなどもあり、人間と同じだ。
ただ、治療をしても2年生存率は25%と短くて、なんだかかわいそうだ。 
犬もリツキサンで治療できればいいのになと思った。
(リツキサンはヒト化された抗体なので、もちろん犬には効かない)

でも、このペットブームの時代だから、ひょっとして犬化抗体だって作られたりしているかもと、
Googleで「犬用リツキサン」 を検索してみた。
結果として、そんなものあるはずもなかったのだが、
検索結果の中で、こんな言葉が目に飛び込んできた。

「不適合腎移植 リツキサン投与」

何のことかと調べてみると、いまリツキサンは日本の腎臓移植を、大きく変えているらしい。

腎臓移植をおこなう際、血液のABO型が合っていないドナーの腎臓をつかうと、
強い拒絶反応がおこる。
今までは、移植を受ける側の脾臓を摘出することで、これを防いでいたのだが、
移植前にリツキサンを投与することで、拒絶反応を防ぐことができるようになり、
脾臓摘出の必要がなくなったというのだ。

ある医科大学のサイトで、具体的な使用法について書かれている。

「まず移植8日前に抗体産生細胞であるB細胞を破壊する目的でリツキサン(抗B細胞抗体) を
投与します。リツキサンは白血病治療薬ですが、ABO血液型不適合移植の術前処置薬として
現在一般的に使用されて います。」

↑白血病治療薬かよ!と突っ込みを入れたくなるが、
腎臓のドナーが多くない日本では、リツキサンはたいへん役立っているとのことだ。
腎臓移植を受ける患者にとっては、これは大きな進歩だろうと思う。

知らないことばかりだなと、改めて思った。
「リツキシマブ」をウィキペディアで見れば一発でわかることなのだから、
知る努力が足りなかったということでもある。

一方、腎臓移植を受ける患者さんたちも、リツキサンの知識があまりない人も多く、
ばりばりの抗がん剤イメージ(=おそろしい副作用)を持っていたり、
ものすごく強い薬と感じていたりすることもあるようだ。
もっとも移植後に免疫抑制剤を使い続ける人たちにとって、
リツキサンは実際「強い薬」かもしれない。


犬から腎臓移植へと、検索の旅でたどり着いたわけだが、
リツキサンの免疫抑制剤機能は、われわれ悪性リンパ腫患者にとっても
ヒントになるものがあるのではと考えてみた。

わたしも、造血幹細胞移植を受ける可能性はあるわけである。
移植後のGVHDによる臓器攻撃を、この考え方で防ぐことはできないものだろうか?

まったくの素人考えなので、GVHDはそんなメカニズムじゃないよと、
一笑に付されるかもしれないが。

では、いつものお約束ということで…


けっきょく、さっぱりわかんないですよ!

2011年7月24日日曜日

500万円也。

ゼヴァリンをいま使わないと、死ぬわけじゃない。
となると、その500万円という値段は、やっぱり気になる。
 
お前にその価値があるのかと、言われているような気がするのだ。
人生これからの可能性が広がっているとか、小さな子供を育てているとか、
そんなわけでもない。
(子供はひとりいるが、再来年には社会人になって、自分で稼ぐようになる予定)

もし、これで長い寛解を得ることができたら、何かをしていかないとなと思う。
別にいい人間ぶるつもりはなく、借りができてしまったような気分でいるのがいやなのだ。

いつかは、何事かで世の中にこの借りを返したいと思う。
そして、人生の最期は、すっきりした気分で
タバコでもぷうとふかしながら
「こんな世の中に未練はないよ」と言い放って死にたい。

まあ、痛いですよ苦しいですよとわめいて死ぬのは目に見えているが…。


少しはかっこつけないと、病人なんてやってられませんよ!

2011年7月22日金曜日

コメントお礼

>あぜ丸さん
治療1クール目お疲れさまでした。
ゆっくり休んでください。

>tokomaさん
8月10日まで入院、それから2週間は要注意生活、ということで夏休みがなくなりました。
もっとも東京だと、9月一いっぱいは夏みたいなものかもしれません。
しかし、ゼヴァリンの治療って、なんで10日も入院しなきゃいけないのかと思っていたら、
「2回注射するだけなので、本当は通院でもできるんですが、患者がどっかに行かないように
閉じこめておくという意味もあるんです」
と医師が言ってました。もう刑務所かと…

2011年7月21日木曜日

ゼヴァリン発注。

火曜日に病院から電話があり、ゼヴァリンについて話したいことがあるので、
すぐに来てほしいと言われた。
なにか病状に変化でもあったのかと、きのう病院に行った。

主治医の診察日ではないので、別の医師から話をうかがう。
どうやらこの医師は、病院の「ゼヴァリン担当」をしているようだ。

緊急事態でも起きているのかと、ドキドキしていると、
「きょうは、8月のゼヴァリンの発注締切日なのです」と医師が言った。
そ、そうなんですかと答えるしかない。

9月の治療予定者はすでに決まっていて、きょうの発注を逃すと10月まで待つことになる、
いま発注すれば、8月1日から入院して治療が受けられる、
主治医はそれを望んでいるのだが、どうですか?
と医師は続ける。

20日〆なのかよ、ゼヴァリンは!
なんて脳内突っ込みを入れていると、もう少し説明が必要とみたのか、
医師はゼヴァリンの治療について、いろいろと話してくれた。
そもそもゼヴァリンとは、という話からはじまったが、面白かったのは↓のようなことだった。

■ゼヴァリンの治療は、白血病でいうところの「地固め療法」と同じ役割と考えている。
つまり、寛解に近い状態を、より長期間の寛解につなげることが、
ゼヴァリンの最も一般的な使い方となっている。

■今までの治療プロトコルの数が少ないほど、ゼヴァリンは効きやすいと考えられてる。
わたしの場合は、CHOPとベンダムスチンで、プロトコルとしては2回。

■この治療を受けたからといって、病気が治癒するとは言えない。むしろしないと思ってほしい。

(まあ、そりゃそうだ)

■副作用の骨髄抑制は、治療2週間後くらいから始まり、2カ月がピーク。
血小板の減少がもっとも顕著な副作用で、血小板輸血を受けた患者は数名いる。
入院が必要なほど重い感染症にかかった例はいまのところない。


■ゼヴァリンの奏効率は、患者用パンフレットに書かれているよりは低い。
ベンダムスチンとゼヴァリンを単剤で比べるなら、ベンダムスチンのほうが効くと思う。

 (これは、わたしの場合はベンダムスチンをあと2回するという選択肢があるよ、
   と言っているのだと理解した)

■移植について主治医からは聞いているか?
ここで、 ゼヴァリンを使ってしまうと、次は移植が視野に入ってくる。
それは危険が多いことも考えておくべき。

ということで、ここでゼヴァリンを使うのが本当にいいのか、
患者としても考えてほしいと、医師は暗に伝えたいのだと理解した。
主治医が上司である手前、あまりはっきりと言っていないが、そういうことだと思う。

まあ、カードゲームのようなものだと思った。
ここでゼヴァリンのカードを切ると、切り札を使い切った状態になり、
後がなくなるというわけである。

で、わたしはゼヴァリンの発注をお願いした。
いまは何が正しい選択なのか、わからない状況にある。
ならば、主治医の選択に賭けようということだ。

これは、わたしの適当なカンだが、
ゼヴァリンは切り札といっても、他のプロトコルとセットで使うカードと考えれば、
今回のベンダムスチンとのセットがいいんじゃないか、ということもある。
(実際はベンダムスチンとセットで使われた例はない)

負けたら悲惨な賭けだが、それはしょうがない。


【その他知識】

・厚生省の指導(たぶん)で、ゼヴァリンの治療が受けられる患者は1医療機関で
月に2人までと決められている。
わたしの病院では、月1人に制限している。

・ベンダムスチンのおかげで、ゼヴァリンはいま多少余りぎみ。

・アイスランドの火山が爆発すると、ゼヴァリンは来ません。
(フランスから空輸されるため)




実は、賭けにはすごく弱いんですよ…

2011年7月17日日曜日

悪性リンパ腫とビジネス。

治療は治療で、パーフェクトを目指す。
そして、仕事はハードにこなす。

それがわたしのライフスタイルだ。

まず、ハートが病気に負けてしまってはいけない。
すべてをポジティブに考え、毎日をチャレンジングな日々にしていくこと。
そうすることで、リンフォーマに打ち勝っていくことができるのだ。

今回は、わたしのビジネスシーンの一端を公開することで、
多くの患者の皆さんに、勇気あふれるスピリットを持ってもらいたいと考える。



 ↑ほんとに会社でやってますよ。

2011年7月16日土曜日

がん幹細胞説。

 もう、このタイトルを見たとたん、最後は「さっぱりわかりませんよ」でまとめるつもりだな、
こいつ、と思う人は多いだろうが、まったくそのとおりだ。

「がん幹細胞説」は、ひと言でいうと、がん細胞には親玉と子分がいるという仮説のようだ。
仮説といっても、現在ではかなり信ぴょう性が高いものと考えられている。

幹細胞は、体の中の臓器や組織をつくりだす元になる細胞で、肝臓をつくる肝幹細胞、
皮膚組織になる皮膚幹細胞、悪性リンパ腫に関係する造血幹細胞など、
さまざまな種類がある。
それと同じように、がんにも「がん幹細胞」があるというのだ。

そして、がんの発生や再発、転移は、ごく少数の本体(あるいは親玉)の幹細胞が
コントロールしているというのである。 
↓ここに、内容がたいへんわかりやすく書かれている。
http://rokushin.blog.so-net.ne.jp/2011-05-09

すでに、1997年、急性骨髄性白血病でがん幹細胞の存在が証明されている。
白血病細胞のうち、表面抗原がCD34プラス、CD38マイナスの 細胞を少数マウスに移植し、
マウスに白血病を発病させることに成功。
逆に、CD34プラス、CD38マイナスという特性を持っていない白血病細胞では、
大量にマウスに移植してもマウスを白血病にさせることはできなかった。
つまり、白血病細胞のごく少数の細胞(=がん幹細胞)だけが、発病や再発に関わっている
ということが実際に証明されたのである。

また、白血病のがん幹細胞は、ニッチと呼ばれる骨髄の骨皮質のあたりで、
ゆっくりと細胞分裂を繰りかえしているので、
急速に細胞分裂をして増殖するがん細胞をターゲットにした抗がん剤は
効きにくいこともわかってきた。

ここまでこんなことを書いてきたのは、濾胞性リンパ腫がどうして再発を繰りかえすのか、
がん幹細胞説で納得できる気がしたからだ。

一般的な幹細胞(悪いものでなく普通の)は、休眠状態になることがわかっている。
いまは見つかっていないが、濾胞性リンパ腫にもがん幹細胞があったとしたら、
抗がん剤などで攻撃を受けたら、休眠状態でそれを受け流しているんじゃないだろうか。
こう考えると、いまの治療はリンパ腫の子分と、正常細胞という味方を見境なく殺し、
運が良ければ、どこかに隠れている親分も… というようなものなんだと思う。
しかし、濾胞性の場合、親分はじっと隠れているのが上手なので…。


ここまでわかってきているのだから、悪性リンパ腫のがん幹細胞を発見して、
それを直接たたく治療法がでてくることを願いたい。
まあ、わたしの世代ではまったく無理だと思うが、次の世代、次の次の世代では
「あ、濾胞性リンパ腫ですか?お注射打っときましょう」
みたいな感覚になってほしいもんだ。

 



薬の原料にされたり、

白血病にさせられたり、

もう、いい加減にしてくださいよ!

2011年7月15日金曜日

コメントお礼

>匿名さん
はじめまして。
ご主人がゼヴァリンの治療をされるとのことですが、
私の主治医は、長期の寛解を目指すための「仕上げ」の治療として
ゼヴァリンを考えているみたいです。
どうやら、そういう使い方が一番むいている薬のような気がします。
ということは、ご主人も、長期寛解が期待できるので、今回使うことになったのだと思います。
骨髄抑制による感染がちょっと心配ですが、そのへんはお互い情報提供をしていくと、
気をつけるポイントみたいなことがわかってくるんじゃないでしょうかね。

>tokomaさん
ゼヴァリンそのものの仕組みが内部被曝ですからねえ。
いままで、レントゲンやCTやPETをやりまくってきたので、
また放射線かよとは思いますね、たしかに。

2011年7月13日水曜日

必発!

初発の治療を終えた時の話である。

たしか2009年の6月か7月のことだと思うが、主治医から寛解を告げられた。
奥さんもいっしょにいて、ふたりでよかったと顔を見合わせたんだが、
すかさず主治医が言った。
「でも、必ず再発すると思いますよ」
あらら、と気が抜けていると、ダメ押しをするように主治医はわたしに向かって、
「必発です!」
と言ったのだ。

「ひっぱつ?」
最初は何を言ってるのかよくわからず、2~3秒たってからやっと漢字が頭に浮かんだ。
“必発”なんて言葉、生まれてはじめて聞いたよ、すごい単語があったもんだと感心した。
そんなことを考えているうちに、「はあ、そうなんですか」的に診察が終わってしまった。
いつもどおりの間抜さけだ。

で、今回再発した時、どんな気分だったかというと、
「まあ、そうだよなあ、“必発”だし」だった。

寛解したら即座に“必発”なんていう主治医もどうかと思っていたが、
いざ再発してみると、慌てたり辛かったり悲しかったりということはなかった。
主治医たいしたもんだ。
もちろん、再発については、ある程度の治療イメージを持っていたから、
落ち着いて受け止められたということはある。
しかし再々発となったら、どんな治療になるのか、
現状ではイメージできないので、かなり不安だが。


ということで、最後は腰の抜けそうな駄洒落で締めたいと思う。


ファイト必発ですよ!

がっかり…

2011年7月12日火曜日

ベンダムスチン+リツキサン:その4

4クール目を終えて1週間が経過した。
主治医が予定しているベンダムスチンの治療は終わったことになる。
27日にPETをおこない、結果によってゼヴァリンを使おうと言われている。

【副作用】
今回はムカつきはなかった。食欲も普通にあった。
ただ、倦怠感とふらつきをかなり感じた。
CHOPをやった後に貧血になったが、その感覚に近い。
これは1週間ずっと続いている。暑さのせいもあるかもしれない。
左の首筋の違和感はほとんどなくなった。

腕の点滴跡は痛い。
特に左腕はさわるだけでずきりと痛む。
まちがって腕をなにかにぶつけたりしたら、
「アウッ!」とマイケル・ジャクソンのような叫びをあげてしまうだろう。

基本的には、真面目に会社に通う、ちょっと疲れたおっさんレベルだろうか。
いや、爺さんくらいかな…

まあ、長生きできるかどうかわからないので、
爺さん体験も結構なことですよ。

2011年7月9日土曜日

コメントお礼

>あぜ丸さん

初発のときからブログを読ませていただいています。
うちの奥さんもよく見ているようで、
「あぜ丸さん、大丈夫かな」と、まっ先に教えてくれたのは奥さんでした。
ベンダムスチンの治療はそれほどヘビーではないと思われますので、
「こんなものか」で終わってしまうかもしれませんね。

>tokomaさん

二股ラジウム温泉…。クマだけじゃなくて、「ゾウのはな子」まで湯治したとはすごいです。
山の中で、見た目も並じゃない温泉という感じで、そそられますねえ。

ゼヴァリンの件ですが、やるとなったらだいたい同時期になりそうです。
「骨髄抑制どうですか」的なやりとりができたらうれしいです。

友人が死んだ。

友人のMが死んだ。
正確に言うと、木曜の朝、死んでいるのが発見された。
54歳の孤独死であった。

発見したのは共通の友人だった。
今週のはじめに食事をしようと約束していたのに連絡がなく、電話やメールをしても
返事がないので、これは病気でもして寝こんでいるのかと、
その友人は近所にあるMの部屋に行ってみたそうだ。

Mの部屋の郵便受けには新聞や手紙がたまっていて、インターホンにも返事はなかった。
友人はそのまま立ち去ろうかと思ったが、ちょっとイヤな感じがして、
玄関のドアノブに手をかけてみたんだという。
意外なことにドアはすっと開いて、玄関口でうつぶせに倒れているMを見つけたそうだ。
「ほんとうはね、“どうした!”って抱き起こさなけりゃいけなかった気がするんだ。
 でもね、見えたんだよ、足の皮膚が腐って色が変わっていてね。もう、手が出せなかった」
友人はそのままドアを閉め、救急車を呼んだ。
救急車がきても意味が無いことには、後で気がついた。

遺体は警察が引き取り、事件性がないか調べられることになった。
Mの家族は父親 がひとりで、その父親も痴呆状態で施設に入っている。
連絡をしても、もうMが死んだことを理解するのは無理だった。
木曜日の時点では、警察が親族を探している状態だった。

警察にある遺体を誰が引き受け、葬式は誰があげるんだ?

発見者の友人の連絡で、わたしを含む3人が、Mの家の近くにあるジョナサンに集まった。
「俺たちがやるのか?」 「それは難しいんじゃないの?」
ドリンクバーを飲みながら、こんなことを話し合ったのだが、
わたしは、あとの2人がずいぶんサバサバした感じなのにちょっと驚いた。
逆にあとの2人は、わたしが平気な顔でこんなことをいうのに驚いたかもしれない。
「まあ、金が底を尽きる前に死んだのは、悪くないよな」

 Mは、40代で会社の早期退職制度を使って退社し、退職金を使ってぶらぶら過ごした。
その金が尽きそうになると、痴呆気味の父親を施設に入れ、
自宅の土地を売りはらい、その金(正確には現在の部屋との差額)でぶらぶら過ごしていた。
2年ほど前、障害者年金をゲットしたぜと嬉しそうに話してくれた。

まあ、「ぶらぶら過ごしていた」は故人に失礼かもしれない。
Mは、「食に人生を捧げた」と言っていい。
海外に行っては、料理本の古書を買い集め、数百万円ぶんの料理本を自宅にストックして、
“将来”は、料理本専門の古本屋を開くと言った。
(本の目録づくりを怠ったため、いつまでも“将来“のままだった)
料理作りの腕前もあった。これは正直素人のレベルを超えたものだった。
残念ながら女性にはあまり縁のない人生だった。


いろいろあるにはあるが、たいへん愛すべき人間であった。

そうでなければ、友人3人がジョナサンで顔をつきあわせて、
こんな相談をするなんてことはないだろうと思う。

               ■

帰りの電車の中で、窓から夜の街を眺めながら
ああ、やっぱり死はもう近くにやってきているんだなあ、と思った。

その反面、自分がここで死んだら、Mのようなある種徹底した人生を送ることなく、
中途半端になってしまうような気がした。
もうちょっと生きて、何かをしないとダメなんじゃないかと。

 
※その後親族とは連絡がついて、Mが無縁仏になることはなくなった。

Mを含め4人の仲間の中で、誰が最初に死ぬか争っていて、最近はわたしが本命だったんですが、
Mにやられてしまいましたよ。

2011年7月5日火曜日

治療4クール目終了

7月4日にベンダムスチン(トレアキシン)+リツキサン、今日はベンダムスチン単剤。

治療前の血液データは低調だった。
過去3クールのダメージは、やはりあるようだ。












今回は2日を終えた時点で、体調には問題はない。
1日目は非常にだるかったが、とにかく寝たらすっきりした。
2日目の今日はムカつはなく、多少胃が重い程度で夕食も普通に食べた。
(というか、揚げ物やチョコレート・リーフパイをパクパクと…)
ただし、いまは制吐剤が効いている可能性があるので、この先はわからない。

点滴は前回と同じように、1日目と2日目は腕を変え、
ベンダムスチンは2時間で入れてもらう。
点滴中は腕をホットパックで温めてもらった。





←両日とも場所はこのへん。

 今日使った左腕は痛い。引きつる感覚もある。





治療前に、血液データを見た主治医が「免疫グロブリンが減っていますね」と言った。
IgG 692(868-1780)   IgM 6(28-177)  IgA 75(122-412) 括弧内が基準範囲

聞いてみると、やはりこれはリツキサンの影響らしい。
リツキサンで免疫グロブリンが減っている人は、他にもいるとのことだった。

で、いま見てみると IgM なんか、もうなくなっちゃいそうだが、
これはどれだけイカンのか、主治医に確認するのを忘れてた。
いつものことなのだが、「こんど聞いとかないと」ということになってしまう。


今後についてだが、7月27日にPETをおこない、
結果次第でゼヴァリンを考えたいということだった。
まあ、わたしの場合は骨髄浸潤があるので、どうなるかわからないが。

今回はうんこがたまっていなければ、ムカつきに悩まされないのではと、
ラキソベロンを飲んで腹をゆるくして治療にのぞんだのだが、、、

点滴中「なんかもれそう」感が、ずーっとしてましたよ。

2011年7月2日土曜日

民間療法。

民間療法には興味がない。

わたしは科学万能主義者ですから、みたいな態度で民間療法を見下しているからであるが、
それじゃあ、悪性リンパ腫について科学的な知識があるのかというと、あんまりない。
よくいる困った患者のひとりである。

そういう人間であるが、1つだけやってみたことがある。

2009年、初発の治療で寛解したときにネットでいろいろ調べていたら、
「山の奥のラジウム温泉」が目に入ってきた。
つげ義春のマンガ好きとしては、やっぱりこれを無視するわけにはいかない。
まあ、頭のなかでは、「山の奥のラジウム温泉」からラジウム成分が抜けて、
「山の奥の温泉」に変換されてしまっていたところはあるが。

そこで、奥さんとふたりで「山の奥のラジウム温泉」に行ってみた。
つげ義春的な、ひなびた温泉ではないが、旅館だけでなく湯治用の宿舎があったり、
山の小屋にある風呂が珍しかったりして、感じは出ていた。
ただ、客が多すぎて温泉に浸かるときは、隣のじいさんと体が密着したりして、
なにか言葉をかわさないとマズイ的な雰囲気になったりした。

それから2度、一人でその温泉に行った。
(奥さん山に興味なし)

風呂に入って、寝て、時間をもてあますと、そのへんをぶらぶらした。
旅館の横を流れている渓流沿いに、1キロほどの遊歩道があったので、そこを歩いた。
遊歩道を歩いている人は誰もいなかった。

小学生の頃、山の中をよく一人で歩いていたのを思い出した。
ちょっと怖くて楽しかったな、あれは。











 ←子供時代のわたし。







けっきょく「山の奥のラジウム温泉」通いは3回で終わりになった。

↓ こういう気分になってきて、病気と闘うとか、社会生活をがんばるとかに支障がでそうで…





















で、ラジウム温泉は効いたのか?


そんなの、わかんないですよ!