2012年5月28日月曜日

ゼヴァリンその16:「診察5月28日」












なかなか元に戻りませんね、とわたし。
「治療の影響が続いているようですね、やはり」と主治医。

戻るというのはもう幻想で、実はこの数値が自分の標準なんじゃないかと思えてくる。
骨髄まで爺さんになろうとしているのか?
爺さんという未知の領域には、いったい何が待ち受けているのか? 婆さんか?

とか、一瞬考えていると、
LDHは多少基準値は超えているが、sIL-2R(可溶性インターロイキン2レセプター)は
250台と低値なので問題は感じないと主治医のお言葉。
(ただしsIL-2Rは3月26日の値)

そうですよねえ、と我に返って診察は終了。
7月のはじめにPETを予約してもらう。




やっぱり、PETやらないとよくわかんないですよ。


コメントお礼

>tokomaさん

R-FM →R →Rベンダムスチンを、ほどんど間をおかずにやられているわけで、
ダメージもたまると思います。
それでも、体を動かせるのはすごいことですよ。
わたしは土日ほとんど亀みたいに動きません。

2012年5月25日金曜日

コメントお礼

>マツモトさん

いまは速く歩こうとがんばると、息が切れるし後で足が痛くなるし辛いんですが、
通勤の時なんかに後ろから人に追い抜かれたりすると「負けてたまるかぁ!」と頑張ってしまい、
ボロボロになります。

>tokomaさん

40年前からランニングですか…。
あまりの凄さに、ふっと気が遠くなりました。

自分の不甲斐なさが悔しかったので、仕事をさぼって大阪の画像↓作っちゃいました。

大阪に行った気分。


バーチャル道頓堀散歩ですよ。

2012年5月20日日曜日

速く歩きたい。

左足がずっと痛い。
足が痛くて整形外科にいき、骨に浸潤したリンパ腫が見つかった時から続いている。
天気の変わり目とか、寒い日とか、横になって体重が左足に乗った時などにじわっと痛む。
もう、4年も付きあってるってことになる。

でも、痛み自体は軽い神経痛みたいなものだ。
最近はPETをしても、左足の周囲に問題は見つからない。
病気を心配するというよりは、ああ自分も爺さんになったんだと、
夜中に布団の中で足をさすったりしているくらいのもんである。

前置きが長くなったが、この病気になる前、2008年以前には
どうやったら速く歩くことができるのか、每日考えていた。
と言っても、競歩やスポーツウォーキングみたいな特別な歩き方をしたかったわけでなく、
通勤や散歩や買物など、日常の歩きを速くすることに取り組んでいたのである。

当時、いろいろな歩き方を試してみて、ついに速く歩くコツのようなものを
体得できたような気がしていた。

しかし、直後にリンパ腫が発覚して、それどころじゃなくなってしまった。
(正確に言うと、リンパ腫が発覚する2~3カ月前はだるくて歩くのは辛かった)

いまもう、せっかく覚えた歩きの「奥義」 も体が忘れてしまっている。
まったく惜しいことだ。
巻物にでもして残しておけばよかったと思う。

ただひとつだけ、なんとか文章で伝えられそうな部分がある。

それは足裏の使い方である。
ふつう、老人向けの歩き方説明などには、「かかとから着地しましょう」とか書いてあるが、
そもそも、かかとから着地しない歩き方なんて、どうやってやるのかと。
江戸時代の人はできたかもしれないが、
現代人は「かかとから着地しないで歩け」といっても歩けないだろう。

むしろ、足の指の付け根あたりを意識して歩いたほうがいいと思う。
足指の付け根で体を支え、そのくにゃっとした弾力を利用して、
もう一方の足を前に出す感じというか―
 
やっぱりわかりにくいな。

では、わたしの足裏の写真を使って説明しよう。
↓これを見れば、よくわかってもらえると思う。








速く歩くためには
呼吸法も重要で、
 「にゃ~」と言いながら
歩くのも、たいへん効果的だ。






なんて役にも立たないことをいっぱい書いたが、
実はネットに、わたしが思っていた速く歩く方法はちゃんと出ていたのである。


↑この回答の中の「ANo.3」noname#96725さんの方法が、「日常早歩き」として正しいと思う。。
(質問の文章もなかなか味わい深いが)


ということで、今回は最後の5行を読んどけば、全部解決ですよ。

2012年5月13日日曜日

コメントお礼

Yoikochanさん

うーん、しつこいですね。
というわたしもゼヴァリンで寛解しているのか実はよくわからず、6月のPET次第です。
でも、この病気は形質転換がなければ、それほど焦らずにいけるような気がします。
1年無事なら、またチャンスが増えると考えればいいのではと…。

2012年5月7日月曜日

コメント返信

>c1970043さん

 申しわけありませんが、わたしは医療関係者ではないので治療についての
アドバイスはできません。
ただ、お母さんの場合、できるだけ早くセカンドオピニオンを受けるべきなのではと思いました。
すでにセカンドオピニオンを受けている場合は、
サードオピニオンも考えていいのではないでしょうか?


また、「ネクサス」や「悪性リンパ種と闘う会」の掲示板には、治療経験の多い患者さんもいるので
質問してみるという手もあります。


ネクサス掲示板
http://hpcgi3.nifty.com/webpage3/nexus/patio01/patio.cgi?

悪性リンパ腫と闘う会掲示板
http://med-jp.com/bbs001/wforum.cgi



医師が直接回答する「アスクドクターズ」というサイトもあります。
ただわたしは利用したことがないので、アドバイスの内容がどこまでのものかはわかりません。
(有料です 月315円 )
http://www.askdoctors.jp/
 
複数の医師に、できるだけ短時間に話しを聞けるといいと思うのですが…。


大変な思いをされていると思いますが、お役に立てなくてすみません。
お母様の病状が早く良くなりますように。

2012年5月6日日曜日

お訳しになりません。

わたしの子供は大学4年になったのだが、英語ができない。
1年の時から必修の英語を落とし続けて、今年単位がとれないと卒業も危うい。

なにをやってるんだ、こいつは!
叱ってやろうと思った。

「とにかく授業をちゃんと聞け、そこからだ」と言ってやるつもりだったんだが、
その時、自分が大学生だったころの英語の授業風景が頭によみがえったのだ。

35年前の大学には、学生があふれていた。
必修の英語授業は、狭い教室に40人くらいの学生が詰めこまれておこなわれた。
これじゃあ、中学や高校の授業と変わらないじゃないかと思った。

英語の先生は、文学部で英文学をやっていた講師だったと思う。
言葉づかいがとても丁寧で、品の良さそうな中年女性だった。

授業は英文だけの「小説みたいな」読本を使い、
それを先生と学生が読んで訳していくというオーソドックスなスタイルだった。
わたしは何回か授業をさぼっていたため、その「小説みたいな」もののあらすじもわからず、
とりあえず席に座っていた。

先生は流暢な発音で英文を読み上げ、わたしにむかって言った。

「ブルーさん、この部分をお訳しになってみますか?」

「お訳しになりません」 

わかるわけねーだろ、そんなもん…。
で、クラスの皆さんには大受け。
わたしは授業を落として追試。

英語がどうしようもないのは、親ゆずりってことなんだ、結局。

ということで、まだ子供を叱っていない。



英語の授業の話には後日談がある。

「訳本あるんだから、買っとけ」とクラスの友達に言われ、
(まだ追試になるとは思っていない)わたしは生協にいって、
「小説みたいな」ものの訳本を読んだ。

それは、カーソン・マッカラーズというアメリカの女性作家の
「悲しき酒場の唄」という小説だった。

すごくいい小説だった。

わたしはマッカラーズの他の小説(和訳版)を、次々に買って読んだ。
「心は孤独な狩人」とか「黄金の眼に映るもの」とか「結婚式のメンバー」とか―
好きな小説家は誰かと聞かれれば、カーソン・マッカラーズというくらいに。

でもね、自分のしょうもない英語力でそれらを読むより、
英語が大好きな翻訳者が訳してくれた文章を読んだほうが、よっぽどいいわ。














カーソン・マッカラーズ
(1917年2月19日- 1967年9月29日





コメントお礼

>マツモトさん

マツモトさんは寛解後2年経過ということなので、GCBタイプの可能性が高そうですね。
というか、最初にタイプを調べたっていいと思うんですよ。
↓「驚きの価格でご提供しています」って言ってるし。
http://www.miltenyibiotec.com/jp/offer_Genomics_Services_Campaign.aspx?gclid=CLyjo8a36a8CFSRKpgodnA-meQ


>tokomaさん

よく考えると、tokomaさんいきなり通院でベンダムスチンやったわけですよね?
そうだとしたら、男らしすぎる!

2012年5月1日火曜日

我々は灰色の中に住んでいる(後編)。

前回は、「予後の悪いびまん性大細胞型B細胞リンパ腫」という部分がツボだったとか、
思わせぶりな終わりかたをしてみたわけだが、立派な結末はあるのか?
ま、いってみよう。

2008年6月、整形外科の診察室で「たぶん悪性リンパ腫だろう」といわれた後、
わたしは悪性リンパ腫のことが書かれたサイトやブログを見まくった。
まだ自分がどのタイプのリンパ腫だかわからなかったから、
とりあえず悪性リンパ腫と書いてあるものならなんでも見たわけだ。

悪性リンパ腫を総合的に説明してくれるサイトを見ると、
びまん性大細胞型B細胞リンパ腫は、最も多くの日本人がかかるリンパ腫で、
30%以上がこのタイプだと書いてあった。
びまん性大細胞型B細胞リンパ腫は抗癌剤に反応しやすく、
化学療法で治癒する場合があるとも書かれていた。

さらに、「最近はリツキサンがあらわれて、もうばっちり!」 的な期待感を煽っていた。
(正確に言うと、都合のいい部分だけ読んでそう思った)

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の患者さんのブログも読んだ。
R-CHOP8クール(当時は8回が多かった)で、多くの人が寛解して再発しないので、
長続きしないブログが多いように思えた。

「じゃあ、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫希望!」なんて、図々しいことを考えた。
結果は濾胞性リンパ腫だったわけだが…。

しかし、その後ブログを見つづけていると、一部のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫の
患者さんであれっと思うほど病気の進行が速い人がいることに気がついた。
もちろん、がんという病気は人それぞれということはわかるが、
その病状は形質転換した濾胞性リンパ腫に近いように感じたのである。

なので、びまん性大細胞型と診断された患者さんの中には、
けっこう濾胞性から形質転換した人たちがいるんじゃないかと思っていた。
それを医師が見逃しているか、あるいはわかっていても治療的にはびまん性大細胞型と
同じだから、患者にはそう伝えているんじゃないかと。

 ところが、前編にリンクした記事を読んで、ようやく疑問が解けたのだ。

「一般的なリンパ腫治療に期待される標的薬」http://www.cancerit.jp/16698.html (再掲)

上の記事には、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫と呼ばる病気には、
3つのサブタイプがあると書かれている。

記事に多少調べたことを加えると、
いちばん多いのはGCB(germinal center B-cell )というタイプで、
これがわたしの思っていたびまん性大細胞型で、比較的予後が良いもの。
逆にABC(activated B-cell:活性化B 細胞型)と呼ばれるタイプは予後不良で、
その中でも9p21のゲノム欠損がある場合はきわめて予後不良なのだそうだ。
濾胞性の形質転換型と思っていたは、ABCタイプだったのだろう。

GCB、ABC、そしてもうひとつのType3は独立したタイプというより、
それぞれの境界は不明確で、連続しているといわれている。
びまん性大細胞型B細胞リンパ腫はグラデーションのようなもので、
患者はその中のどこかにいるってことになる。






隣の芝生は青いと思っていたら、けっきょく灰色だったということだ。

ということで、やっぱり悪性リンパ腫は人それぞれという、
そんなの当たり前だ的な結論になってしまう。
おまえの知ったかぶりに付きあって、時間を損したぜこの野郎と思うかもしれない。

でも、悪性リンパ腫というか、がんという病気のほとんどは
白から黒に変わるグラデーションのどこかの灰色で、
その灰色のどの部分にいるのか、自分にはわからないってことを、
ずっと意識し続けるのは、けっこう難しいんじゃないかと思う。

特に濾胞性リンパ腫は、時間の経過によって灰色の色が変わる。
ある日、灰色が異様に暗くなってきたとき、
その中をちゃんとひとりで歩いていけるんだろうか?






今回は最初にかっこいいタイトルを考えついたのはいいけれど、
途中で結論がわかんなくなって、すごい適当に辻褄をあわせてますよ。