2011年7月9日土曜日

友人が死んだ。

友人のMが死んだ。
正確に言うと、木曜の朝、死んでいるのが発見された。
54歳の孤独死であった。

発見したのは共通の友人だった。
今週のはじめに食事をしようと約束していたのに連絡がなく、電話やメールをしても
返事がないので、これは病気でもして寝こんでいるのかと、
その友人は近所にあるMの部屋に行ってみたそうだ。

Mの部屋の郵便受けには新聞や手紙がたまっていて、インターホンにも返事はなかった。
友人はそのまま立ち去ろうかと思ったが、ちょっとイヤな感じがして、
玄関のドアノブに手をかけてみたんだという。
意外なことにドアはすっと開いて、玄関口でうつぶせに倒れているMを見つけたそうだ。
「ほんとうはね、“どうした!”って抱き起こさなけりゃいけなかった気がするんだ。
 でもね、見えたんだよ、足の皮膚が腐って色が変わっていてね。もう、手が出せなかった」
友人はそのままドアを閉め、救急車を呼んだ。
救急車がきても意味が無いことには、後で気がついた。

遺体は警察が引き取り、事件性がないか調べられることになった。
Mの家族は父親 がひとりで、その父親も痴呆状態で施設に入っている。
連絡をしても、もうMが死んだことを理解するのは無理だった。
木曜日の時点では、警察が親族を探している状態だった。

警察にある遺体を誰が引き受け、葬式は誰があげるんだ?

発見者の友人の連絡で、わたしを含む3人が、Mの家の近くにあるジョナサンに集まった。
「俺たちがやるのか?」 「それは難しいんじゃないの?」
ドリンクバーを飲みながら、こんなことを話し合ったのだが、
わたしは、あとの2人がずいぶんサバサバした感じなのにちょっと驚いた。
逆にあとの2人は、わたしが平気な顔でこんなことをいうのに驚いたかもしれない。
「まあ、金が底を尽きる前に死んだのは、悪くないよな」

 Mは、40代で会社の早期退職制度を使って退社し、退職金を使ってぶらぶら過ごした。
その金が尽きそうになると、痴呆気味の父親を施設に入れ、
自宅の土地を売りはらい、その金(正確には現在の部屋との差額)でぶらぶら過ごしていた。
2年ほど前、障害者年金をゲットしたぜと嬉しそうに話してくれた。

まあ、「ぶらぶら過ごしていた」は故人に失礼かもしれない。
Mは、「食に人生を捧げた」と言っていい。
海外に行っては、料理本の古書を買い集め、数百万円ぶんの料理本を自宅にストックして、
“将来”は、料理本専門の古本屋を開くと言った。
(本の目録づくりを怠ったため、いつまでも“将来“のままだった)
料理作りの腕前もあった。これは正直素人のレベルを超えたものだった。
残念ながら女性にはあまり縁のない人生だった。


いろいろあるにはあるが、たいへん愛すべき人間であった。

そうでなければ、友人3人がジョナサンで顔をつきあわせて、
こんな相談をするなんてことはないだろうと思う。

               ■

帰りの電車の中で、窓から夜の街を眺めながら
ああ、やっぱり死はもう近くにやってきているんだなあ、と思った。

その反面、自分がここで死んだら、Mのようなある種徹底した人生を送ることなく、
中途半端になってしまうような気がした。
もうちょっと生きて、何かをしないとダメなんじゃないかと。

 
※その後親族とは連絡がついて、Mが無縁仏になることはなくなった。

Mを含め4人の仲間の中で、誰が最初に死ぬか争っていて、最近はわたしが本命だったんですが、
Mにやられてしまいましたよ。

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